トピックス
2019年12月9日(月)
2002 北欧の旅(雑感)
2002年9月12日成田空港からSK984便で11時55分離陸・・・・・・
いよいよ初めての北欧だと、意気込んだが遠い・・・・兎に角時間がかかる!!!
コペンハ-ゲンの空港に第一歩を印したのは16時30分、アメリカナイズされた私の目には華やかさの無い空港の雰囲気が何か物足りなさを感じるが、ヘルシンキ行きのSK8376に乗り替える為の移動中、空港内を視ると“木目”を基調にしたレイアウトに成っており全体的に落ち着いた店舗構成になっている。特に通路全体に集成材を使っているのが気に入った。
ヘルシンキ空港に到着した頃には薄暗く成っており、北欧は白夜と思い込んでいる俺をガッカリさせたのは事実である。この空港内もなぜか薄暗い、人も少ない、人波でごった返してる成田を出て来た者にとっては、このギャップが気に成る。ホテルへ向かうバスから見る市内も暗い、歩いている人も居ない、少ない・・・・・・・・東南アジアと同じくこの国も電力事情が悪いのかな等々・・・下らない事を考えて居る内に、間も無く宿泊ホテル“SOKOS TORNI”に到着した。街の中心部にある様だが、本通りから横の小路に入った一見アパート風のレンガ作りで落ち着いた雰囲気のホテルであった。ここがホテルだよと言われなければ殆どの人は通り過ぎてしまう様な作りで、ひっそりと裏町に溶け込んでいる。
私の旅の楽しみの大部分は“街”と“人”を見る事である。行く場所々で街は昼間の顔、夜の顔それぞれ違った趣きを魅せてくれるが、私は朝の町並みを見るのが特段好きである。昼間は活動的でエネルギシュ・社交的、夜は華やかで美しく醜いものを覆い隠し心をうきうきさせてくれるから不思議である。その点朝は無防備であり、素顔の町を見ることが出来る、落ちている紙コップ・塵、路地に転んでいる自転車等、・・・・・足早に歩く出勤途中のサラリーマン、朝市場で食事を摂る町の人々、全てが無理なく自然体である。
ヘルシンキは朝の散歩を二度経験することが出来た。一日目は南港に面したマーケット広場に朝市を見に行った。花屋、果物屋、魚屋、面白いと思ったのは玩具等の小物を子供も居ないのに売っていた。小船に乗って来る行商のおじさん、手はゴツゴツだが人懐こく親切である。斉藤さんの奥さんが小魚を買い、プチトマトを口に飽張りながらホテルへ帰って来た。
二日目はヘルシンキ中央駅へ行ってみた、朝の駅は各界各層の人が集り・散って行く、座席で眠そうにしている叔父さん叔母さん、床に腰を下ろし話し込んでいる若者、忙しそうに電車に乗り込む人を・・・、ボーとしながら眺めて居ると、その町が分った気に成るから不思議なものである。
今回の私共の旅行は1週間で3カ国を周る、極めてハードな旅で有り、じっくりとその国を掘り下げる事は出来なかったが、逆に其々の国と言うより、其々の街の違いを感じる事が出来た。
ヘルシンキは他の2つの町と比較して、歩いている人が一目で北欧人と分る人が多い、足が長く御尻が上り、鼻がツーンと尖がっており、基本的にデブは居ない。轟弁護士曰く“特に女性は綺麗であった”との事です。これは、現在の社会保障システムが大きく影響を与えている様です、北欧社会は出生率が年々低下しており、日本と同じ様に少子化が急激に進んでいる。この様な社会情勢下でスウエーデン、デンマークは現在の高福祉体制を維持するために“移民”を奨励している為、中近東等の他人種、混血の人を比較的多く見かける事が多い。この政策の濃淡差が其々の国の人となりを左右している様である。
我々東洋人から見るとフィンランド人は彫りが深く、顔を見ているだけでは何を考えているか分らず、取っ付き難い気がするが、素朴で意外と親切である。ニューヨークの様に道路で対面した場合相手を退かして自分が真っ直ぐ歩いて行く様な人は居なかった。
スウエーデンは日曜日の夕刻にスットクホルムの中心商店街を散策した。5時を過ぎている事も有ったが、店員は店を閉める事が先にあり、“売ってやる”気概が全く感じられなかったのが不思議であった。高福祉で社会制度が成熟してくると意欲まで無くなるのか???、それが子供の少ない原因か!!!!!と妙な処で感心・納得してしまった。
コペンハーゲンはチボリ公園を中心に華やかである、今は廃れてしまった様だが昔の“ポルノ街”も有り、歩いて見ると廃退的で怪しげな雰囲気を醸し出している。中心部は所謂観光地的な感じであまり語るべき所は無いが、轟さん井出さんともう一名???は久ぶりの繁華街で夜遅くまで嬉々として飛び回っていたが、大した成果は無かった様である。その詳細は後日暴露する事とする。
・・・・・・・・・・・・・・・・
旅の終わりに一週間を振り返ってみるに、今回の旅は“自分自身の老いを”考える旅で有った気がする。高齢者福祉施設に入所している90何歳かのお婆さんを見ていると、如何に老いるかを考えてしまう。確かに北欧は社会システムとして福祉事業が充実・成熟しており、此れを誇りに思い、国を信頼しているが、運用を一歩間違うと北欧型のオレンジ共済に成りかねない危険性も持ち合わせているのも事実である。
“個”を大切にする西洋人と大家族主義が潜在意識の中に刷り込まれている東洋人では幸福感も違うのではないか?・・・・・、一個の人間として何をして来たか、何をしているかも重要であるが、どの様な形で幕を引けるのかも人生にとって大切な事かも知れない等・・・普段考えることの無い事を考えさせられた一週間で有りました。
<文責:西入 悦雄>